お伊勢参り

念願の伊勢神宮参拝に行ってきました。
伊勢神宮は、日本の神社の頂点に君臨する別格の神社で、正式名は「神宮」。
外宮、内宮に分かれており、それぞれ天照大御神を祀る皇大神宮(内宮)、
豊受大御神を祀る豊受大神宮(外宮)があります。神聖さを感じさせる森林
に囲まれており、古くから日本中から参拝客が訪れています。出雲大社とこ
ちらは、死ぬ前に一度参拝したいとずっと思っていました。


「伊勢神宮きちんとおまいり」( たびカル)

神宮に参拝するため、前もって予習のために本も購入しました。
「伊勢神宮きちんとおまいり」( たびカル)

注意すべき点は、以下の通りでした。
・外宮、内宮の順番に参拝する。
・参道の端を歩く。(外宮は左側、内宮は右側)
・ご正宮から参拝する。(別宮は後)
・ご正宮は、私幣禁断なので賽銭・供え物はNG.
 また、日頃のご加護に対して神様に感謝する場所であり、
 個人的なお願いごとは、別宮(多賀宮や荒祭宮など)で。
・手水舎の作法、拝礼の作法は通常と同じ。
 (左手、右手、口、左手、柄杓の順番、二拝二拍手一拝)


快晴の伊勢市駅!

伊勢市駅に午後に着いて直ぐに外宮へ参拝しました。
駅からの参道は、食べ物屋さんなどで賑わっていました。数分歩くと外宮の
入口に到着します。入口近くの火除橋を渡るとそこから聖域になります。
普通の市街地から一挙に空気感が変わるのが、印象的でした。手水舎で手と
口を清め、豊受大神宮(本宮)まで歩きます。
石段の先の写真の撮影は、NGですので記憶に刻むようにしました。容量不足
ですが・・。おごそかに石段を上がってみると驚いた事に結構な数の賽銭が
白い布の上に散乱していました。「賽銭禁止」と立て札をするべきです。
(立て札を立ててないのは、賽銭を期待しているように思えてしまいます。)
ここでは、日ごろの感謝と日本と皇室の未来をご加護くださいというお願い
をしました。建物の細部の素晴らしさがひしひしと伝わってくるのも圧倒的
でした。個人のお願いは、お隣の多賀宮にてしときました。


外宮の参道、世界が変わります。

参道を順路に沿って歩きましたが、空気感が素晴らしかったです。
神楽殿で記念のご朱印も頂いて、バスで内宮へ移動。


内宮の入り口周辺。

内宮は、観光バスとかが山盛り並んでおり、観光地的な雰囲気でしたが、五
十鈴川にかかる宇治橋を渡ると聖域に踏み込んだ感触が得られました。
手水舎で手と口を清めた後、五十鈴川に手を付けてさらに清めます。午後の
光は川面を照らし、眩いお清めとなりました。

眩い十鈴川

早速皇大神宮(本宮)へ進みました。外宮より参拝客が多く、参拝の列が長
くなっており、時間がかかりましたが10分ほどで正面から参拝できました。
(係員の方が、横の方から参拝しても一緒ですとアナウンスされていました
が並んでも正面から参拝したいものです。)本殿は白い布の向こうにあり、
普通は正面からは見えない状態なんですが、幸運なことに僕の番の時風が吹
いて正面から本殿を拝む事が出来ました。豊受大神宮と同様に日ごろの感謝
と日本と皇室へのご加護をお祈りしました。


本宮前にて

ちょっと緊張が緩んで、荒祭宮で家内安全、健康をお祈りしました。
周辺の別宮も回って、神楽殿でご朱印も頂き、ゆっくり参道を歩きました。
いずれの建物も素晴らしい作りで、その精度に圧倒されました。匠の技です。
伊勢神宮の空気を堪能し、再び宇治橋を渡って俗世に帰りました。(笑)


おかげ横丁

おかげ横丁などの参道は、大変な賑わいで「名物料理」やお土産屋が、繁盛
していました。何か食べようと思いつつ歩いたんですが、結局そのまま猿田
彦神社まで歩いてしまいました。猿田彦神社は、普通の神社という印象で、
リラックスして参拝しました。


猿田彦神社

バスで伊勢市駅へ戻りコインロッカーの放り込んでいた荷物をピックアップ
し当日のお宿である「ゲストハウス紬舎 」さんへ向いました。


ゲストハウス紬舎

場所が分かりにくい雰囲気だったので、事前に確認していた事もあり、全く
迷わず到着できました。すぐにチェックインして寝床を確保し、近所の銭湯
「汐湯・おかげ風呂舘 旭湯」さんへ向いました。こちらは、二見浦の海水を
使った汐湯だそうで、しっかり温まって宿へ帰りました。


汐湯・おかげ風呂舘 旭湯

宿で「豆腐屋さん」が夕食に良さそうだったので、早速歩いて向っていたら
謎のアメリカ人の男性に声をかけられて「迷子になっちゃったんだけど、ゲ
ストハウス紬舎知らない?」というので、ビールを一刻も早く飲みたい気持
ちに後ろ髪を引かれつつ、宿に引き返して案内しました。再度豆腐屋さんへ
向ったんですが、教えてもらった場所にお店が無い!というか?豆腐屋さん
閉まってました。orz

宿に引き返し、一刻も早くビールを飲まないと死にそうである事を伝え、薦
められたのが伊勢市駅前の居酒屋「はやと」。速攻でお店に向い、カウンタ
ーに座って、生ビールを注文。シマアジのお造りと揚げだし豆腐を注文。
お通しの肉じゃがをつまみながら生ビールの飲んだところ他の料理が出来上
がる前にビールが無くなってしまいました。ちょっと悩んで三重の辛口のお
酒と書いてあった三重県桑名の銘酒『青雲』の特約店限定酒『颯(はやて)』
を冷で注文。まぁ、美味しいお酒ですが、あまり期待し過ぎるとダメですね。
辛口で良いのですが、旨みが足りない印象でした。(個人の感想です)
宿でゆっくりしたい事もあり、お勘定をお願いしたら\2960円でした。約30分
の滞在したから、1分\100円計算ですね。(笑)
スーパーでビールとおつまみを購入して宿に戻りました。

居間にオレゴンから来た女の子と鹿児島から来た女の子がいたので、ビール
を配って飲み始めました。鹿児島の子は、田中芳樹さんのファンだそうで、
漫画版の銀河英雄伝説を数冊まとめて読んでました。田中芳樹さんは、高校
の先輩です。というとちょっと受けました。ショーンKが後輩ですというネ
タも受けそうでしたが、自粛しておきました。オレゴンの子は、日本の歴史
を勉強したいということで、日本語ぺらぺらでした。最近こういう凄い人が
多いような気がします。

暫くして静岡から来たITエンジニアの男性が加わり、政治や歴史の話で盛
り上がりました。翌11日が、東日本大震災の日ということで、被災地の話が
出てきたら、急に「335の穴」の盟友タカハシ議長の事を思い出し感涙し
てしまいました。実家が被災し、1年以上も避難所で暮らし、そこの世話役
を務め、ストレスのたまったお年寄りとかの世話などで大変な苦労をしたよ
うです。実際は、かなり悲惨な状況だと伺えるもののネットへの書き込みは、
いつも明るく、自虐ネタなども駆使して僕らへ近況を知らせてくれました。

避難所から実家へ戻ってまもなく脳に癌が見つかり闘病生活が始まりました。
2012年9月に石巻へお見舞いへ行き、個人の義捐金を渡しました。お見舞い
金だと受け取るのに抵抗があるかもしれなかったので「変なところへ義捐金
を渡しても幾ら被災地へ渡るか分からないので、お金を渡すから石巻で使っ
てくれ」とお願いしたら「生活費に消えてしまいますよ」とか言うので「望む
ところです」答えて受け取ってもらいました。いい奴です。

彼の弟さんから、訃報が届いたのは、その年の暮れでした。彼を知るAOR
クラブ(社会人のかなりマニアな音楽サークル)の怪鳥さんは、「この世に
神も仏もないものか」と訃報に触れてネットに書き込んでいました。
客観的に見るとそうなのかもしれませんが、きっと彼は彼なりの生きがいを
見つけて生きていたと僕は今でも信じています。そうじゃないとやりきれま
せん。そんなこんなが酔った頭を駆け巡り暫し何も話せなくなりました。
改めてタカハシ議長のご冥福を心から祈りました。

こういう時間は、あっという間に過ぎて就寝の時間になったので、速攻で寝
ました。早起きしたら二見浦へママチャリ借りて走ってもいいかなと思って
いたんですが、一旦6時に目を覚ましたものの、二度寝をして7時半起床。
オレゴンの子と一緒に朝ごはんを食べて、8時過ぎに早めにお土産に赤福を
買って駅へ向いました。伊勢滞在中の土日は、大変良い天気で文字通り雲ひ
とつない空でしたが名古屋に到着すると結構どんよりとした曇り空でした。

帰りの電車でインドネシア人の夫婦が電車で困っていたので、切符と行く先
を確認してあげました。電車に乗る前に普通確認しないかしらとか思いまし
たが、お国柄かもしれません。ちなみにインドネシア人は親日の人が多い印
象です。穂高駅に着いて外へ出たら空気が思った以上に寒かったので驚きま
した。ホームタウンへ帰って来たと実感した瞬間です。

2018年4月1日

平川丈二は最近こんなことを考えている!
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