追悼 ジェフ・ベック先生


みなさんご存知の通りギター史上最も重要なギタリストだったジェフ・ベック
先生が今年1月10日にお亡くなりになりました。訃報を見た第一印象は「有
り得ない」でした。ドラッグなどと無縁で若々しく50年ものキャリアに安住せ
ず、新しい事に挑戦し続ける先生に「訃報」は非常に縁遠いものと思っていた
からです。死因は「細菌性髄膜炎」だそうで、治療に予断があったのではない
か?と残念に思います。

僕は中二の頃、兄がバンドやっていた影響で、ギターを弾き始めました。全く
ブランクなどなく現在まで僕の人生の傍らには、ギターがありました。ギター
を弾くきっかけは、ゼップやパープルのハードロックだったんですが、深くの
めりこんだのは、BBAやBlow By Blow,Wiredなどの先生のプレイがあったからだ
と思います。当時「孤高のギタリスト」と呼ばれ、「性格に問題があり、バン
ドが長続きしない」とされてきました。アーチストのプライベートにはあまり
興味が無かったのでアルバムでのギタープレイ、特に意表を突くトリッキーで
いて、音楽的な演奏に強く惹かれました。ただ、「憧れ」は強く持っていまし
たがコピーとかはほとんどやっていませんでした。

高校・大学とフュージョンな時代を経過しながら、第2期JBGも大好きになりま
した。大学の頃、メインで使っていたフェンダーUSAのストラトの塗装を剥が
してラッカースプレーでナチュラルに塗り直し、ピックガードの角を切り落
として先生のフランケン・ストラトに似せたギターを使っていました。

コピーしていなかった事もありますが、バンドで先生の曲をやれる気がしなか
ったのが大きかったです。周りにテイム・ボガードもヤン・ハマーも弾ける奴
がいなかったんですね。それでも先生のアルバムやライブは、可能な限り聴い
たり、観に行ったりしてました。1989〜1999年のブランク期(自分のアルバム
は作らず、他者とのセッションが多かった時期)は、フュージョンやAORに傾倒
してました。その時期にパソコン通信やインターネットで先生の音楽が好きな
方々と知り合いになって、1999年の来日時には、多くの友達とライブを観るこ
とができました。しまいには当時六本木にあったBBAというロックバーで先生の
曲でのセッションとかもありました。

その頃から先生のギターのちゃんとしたコピーも始めた記憶があります。
先生のギターをコピーするという行為は先生と自分の距離を確認する行為に他
なりません。ブートなどを聴いているとプレイが感情に左右される印象があり
ました。ギターを弾くスピードも超速という訳ではなく、実際は「緩急」の
「加速度」により「早い印象」を与えている事も気づきました。何よりギター
のタッチが素晴らしく、歌やアンサンブルにフィットした演奏を自分のプレイ
で加えるところは、先生の真骨頂だと思います。

その対応力は、ブルースロックの世界に居ながらスタンリークラークやステ
ィービーワンダーなどと演奏しても違和感がありません。違和感がないのに
もかかわらず、演奏している内容は「ペンタトニック」と言われるブルース
・スケールだったりします。

ギターのスタイルもピック弾きから指弾きへ移行した事も大きいですが、よ
りニュアンス重視になりました。ストラトでアームを使ったフレージングな
ども表現力重視の選択だったと思います。

先生の音色は、大部分先生の指で生み出されますが、機材の変遷も大きいと
思います。マーシャルの歪を基本に最近だとケンタウロス系のブースターで
タッチのニュアンスを豊かにしているように感じられます。学生の頃先輩か
ら譲ってもらったマーシャルユニット1(50W)という自宅では、音がデカ
過ぎてほぼ使えないアンプを20年以上持っていたのは、これとBOSSのOD-1の
組み合わせが、音色的に先生の音色に近いと感じていたためでした。
忘れられないのは、東京フォーラムで"Where Were You"を演奏した際の観客
の固唾を飲む「静粛」のなか発せられる、本当に美しい音色のギターサウン
ドに感動しました。

先生は、残念ながら「作曲」の能力はありません。アレンジの能力も不足して
いるため、サポートできるメンバーが必要です。マックス・ミドルトン、ヤン
・ハマー、ナイル・ロジャース、トニー・ハイマス、ジェニファー・バトンな
どがそういう役回りをやってくれていたと思っています。他者のセッションに
参加するのが比較的多いのも同じ理由だと思います。

ネットで知り合った人達のなかに「追っかけ」の方もいて、いろんな話を聞き
ました。大阪では行きつけのロックバーがあり、公演後メンバーとスタッフで
飲みに行くので、そこへ行けば先生に会えるとか、かなり行動が地味で一般に
言われている自己主張などは、見たことないとかは一致していました。僕も一
度だけ追っかけの友人とホテルへ行ってみたんですが、先生には、会えなかっ
たんですが、ベースのタルちゃんとドラムのヴィニーと合う事が出来ました。
当時のギターテックのSteve Priorも紹介してもらって機材の話をさせてもら
いました。お土産に先生のピックももらいましたが、普通に売ってるダンロッ
プの柔らかめのティアドロップ型でした。(笑)スキャッターブレインとかで
時々使うんだそうです。

Steve Priorのインタビュー
アンプ編
ギター編

2001年にテレビ朝日のニュースステーションに出演して鍋や蕎麦を食べながら
インタビューに答えた時の発言も興味深かったです。ステレオタイプな「3大
ギタリストとして・・」という問いに「(自分の人生は)ミザリー(悲惨)」
って答えてて、比較対象がクラプトンやジミー・ペイジなので、それなりに理
解しましたが、先生自身「運がない」って思ってそうです。数多くの先生のイ
ンタビューを読みましたが、結構インタビュアーを喜ばせたいがためのボケを
かますことが多い人なんですが、これは本音も強そうでした。とはいえ、ファ
ンとしては、好きなヴィンテージカーを好きなだけ買えるほど裕福じゃなくて
経済的な理由もあり、アルバム制作やツアーに出てくれたのは、有難かったで
す。頻繁に来日してた頃は、欲しいクルマが見つかったからじゃないか?って
ファン同士で囁いてました。(笑)

1999年以降の先生の演奏について、サンプリングを多用したエレクトリカルな
アルバムを経て、ちょっと落ち着いた印象も受けました。やはり「ぶつかり合
う個性が必要なんじゃないか?」説も囁かれました。結果論になりますが、良
いソングライターを雇うなどのプロデューサーが必要だったと思います。2017
年のロージーとカルメンのコンビをバンドに入れた意図もそういう方向性だっ
たからだと思いますが、それほど成功しなかったと思います。昨年動き出した
ジョニー・ディップとのアルバム制作とツアーも同じ方向性だと思います。
志半ばで病魔に倒れたのは、本当に残念です。

ジェフ・ベック先生の訃報に触れてから1週間ほど情緒不安定な感じでした。
いろんな事を思い出しましたが、どういうわけか?2000年12月の名古屋公会堂
でのライブの事を考えていました。2000年の日本公演は、東京・横浜と全部で
4公演観たんですが、名古屋は最終公演で先生も気合が入るんじゃないか?と
期待して観に行きました。名古屋公会堂は狭めの会場で先生の表情も比較的よ
く見えたんですが、この日の先生は、自分が観たライブで最も出来が悪い感
じで、本人も自覚があるらしく集中する姿勢が伝わってはくるものの最後ま
で盛り返すことはできなかった印象でした。会場の外に出て大槻さんやatsu.
さんなど先生のライブで良くお会いする方々も「どうしたんだろう」みたい
なことを話し合ってました。ブートなどで奇跡のような出来の演奏もありま
すが、その真逆の演奏を目撃してしまったようです。それより10年程前にな
りますが、有明と横浜で公演があった時僕は横浜へ観に行ったんですが、そ
の前の有明の演奏が酷かったそうです。(大汗)

先生の訃報の衝撃にかなり凹んでしまい、1週間ほど後ろ向きの思考に支配
されましたが、過去の出来事を振り返ることも決して無駄ではなく、それら
の結果として今の自分があるという事を再認識できた時間でした。

今は、感謝しかありません。あらためて心よりご冥福をお祈りします。

2023年2月1日

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