頑張れ!東北!


先月6〜7日と盛岡の某部品メーカーへ出張してきました。
東北新幹線「はやて」が早いとはいえ、作業量も多いため久しぶりの泊まりアリの出張でした。
対応してくれたメーカーの方々もこちらのニーズをしっかり理解してくれてスムーズに仕事が
進み、予定より早く帰途につく事が出来ました。おかげで現在石巻でがんと戦っている335
の穴の盟友「タカハシ議長」を見舞う事ができました。もっとも仕事が押して当日行く事がで
きなくとも翌日行こうと思っていたりしましたが・・。(汗)


東北新幹線はやて! 早い!

あと、実際に東日本大震災の復興の現状を見ておきたかったということもあります。そのため
仙台でレンタカーを借りて石巻へ向かいました。実は僕自身が日本国内でレンタカーを借りた
のはこの時が初めてでした。(笑)仙石線も石巻まで走っていなかった事からレンタカーとい
うアイデアがでてきましたが、実際大正解だったと思います。

てな訳で、仙台に昼過ぎに到着し、昼食を摂って日産レンタカーでレンタカーを借りてみまし
た。借りた車はティーダのセダン。夜は車中泊になる見込みだったのであまり小さなクルマは
やめておきました。(笑)カーナビも慣れるまでちょっとかかりましたが、問題なく走る事が
できました。仙台、塩竃、松島と徐々に震災の爪あとが感じられる風景が増えてきます。
海岸線へ出ようと走っていたら道路が不通で引き返したこともありました。異常に辺鄙なとこ
ろ、というか?いかにも不便な場所に仮設住宅が立ち並んでいるのも見ました。JRの線路に沿
って並んでいる架線の柱が傾いている光景も印象的でした。標高の低い、津波の被害が大きか
ったと思える地域では、今でも空き家のままでベニア板やブルーシートで塞がれた窓や入り口
が既に1年半が経過しようというその時もそのままでした。津波の被害がさらに酷かった地域
では、建物は無く、基礎だけが住宅がそこにあったと言う事を教えてくれるだけでした。
ここで多くの人が家を失い、命を失ったと思うと胸が一杯になってしまいました。

いろんなところで「がんばれ!東北」とか「がんばれ!石巻」とか看板がありました。ラジオ
の放送でも、瓦礫処理をやっている人たちからのメールなどが紹介されていました。凄い一体
感で絆を感じました。「"絆"ってうそ臭い」とか言う人は、しばらくこちらで過ごすといいと
思います。


石巻赤十字病院に掲げられていた旗

石巻街道から一関街道(国道45号線)を走り目的地石巻赤十字病院に到着しました。
受付で病室を教えてもらいエレベーターで6階へ向かいました。最上階でデイルームからの見
晴らしも良い感じでした。静かにタカハシさんの病室に入るとお休み中でしたので、暫く横に
座って本を読んでました。南向きの暖かい病室は多分患者さんの呼気から出ていると思われる
薬の臭いが感じられ、表現し難い緊張感を感じました。1時間程するとタカハシさんのお母様
がいらっしゃったのでご挨拶するとタカハシさんも目を覚ましました。

寝起きでぼんやりした頭で、目の前に座ったの坊主頭の見慣れないオヤジがタカハシさんには、
一体誰だか分からなかったようです。(爆)「ご無沙汰しています!Jおじです」と挨拶すると
「髪の毛がないですね」とか自分の事を棚に上げた発言に笑いつつ「お互い様です」と返させ
て頂きました。病状の話とか震災の話とか民主党政権の話とか音楽の話とか、だらだらと楽し
い時間を過ごす事が出来ました。夕食の時間が近づき、お母様が帰られるというので、圧倒的
に時間の余裕のある僕は、クルマでご自宅までお送りする事にしました。

タカハシさんのご自宅は石巻市内、住吉小の近くでこのあたりの津波の被害も大きかったよう
です。渋滞を避けようと病院から石巻北部バイパスを通り、住吉小方面へ向かいました。途中
石巻市総合運動公園には、仮設住宅が立ち並んでいました。石巻線の踏切を越えるとすぐがご
自宅でした。何度もお礼を言われて恐縮しつつ、石巻バイパス沿いの吉野家で牛丼で夕食を済
ましました。再度病院へ戻り、面会時間ぎりぎりまでくだらない話をさせてもらいました。
金額は少ないですが、義援金を渡しました。募金をするより直接石巻でお金を使ってくれる人
にお金を託した方が、復興に役立つような気がしたからでした。タカハシさんが「生活費に消
えますよ」と恐縮されてましたが、「問題ありません。できれば仙台ではなく、石巻で使って
ください」とお願いしておきました。(笑)

楽しい時間は、必ず終わりがやってきます。
「335の穴を股(←お約束)やりましょう!」と硬い約束をし、病院を後にしました。
その夜は、近所の道の駅「上品の郷」で車中泊です。ここは、コンビニや温泉もあり、車中泊
の人も結構いらっしゃいました。ティーダというクルマに乗るのは、初めてでもあったので、
どの様に寝たら良いか?さんざん悩んでヘッドレストを外して助手席を倒すとフラットになる
ことが分かり、この体勢で寝ることにしました。しかし、翌朝身体がガタガタになってました。
睡眠時間は確保できましたが、なれないクルマでの車中泊はしんどいですね。


「じょうひん」ではなくて「じょうほん」です。

朝食は、コンビニで購入しました。石巻の震災のムック本も購入しました。弁当食べながら読
みましたが、お腹が一杯になる前に胸が一杯になってしまいました。(号泣)
車内を片付けて身支度を整えたら、北上川沿いに海へ向かいました。大川小学校近くの鉄橋が
津波に流される映像を見た記憶があったためです。鉄橋は復旧していましたが、雄勝町に入る
とほとんど廃墟が広がる光景に圧倒されました。瓦礫などはきれいに片付けられていたものの
ここで暮らしていた人々の痕跡が、流出してしまった印象でした。


廃墟になった中学校


横倒しになったままのビル

さらに海岸線沿いを国道を進むと路肩が崩れている部分が幾つかあり片側通行になっていまし
た。ドライブインなども営業しなくなって随分経過しているようでしたが、それでも仮設住宅
があるあたりには、頑張っていらっしゃる方々のエネルギーを感じることができました。
女川港に入ると未だに横倒しになったビルなどもあり、まるで埋立地のような状態にシュール
な感覚を覚えました。その後も海岸線沿いを延々と続く光景が忘れられません。「よくぞここ
まで瓦礫を片付けた!」と震災の本の写真を思い出しながら走り抜けました。

ただ心強かったのは、日本製紙の工場がちゃんと稼動していたところです。
それから再び石巻街道に戻り、一路仙台を目指しました。途中松島海岸を通りましたが、観光
客も幾らか見かけて、まだまだかもしれませんが復興を感じる事が出来ました。

仙台に戻りクルマを返却しました。多分海岸沿いを回れば、震災の爪あとを見る事ができるの
でしょうが、仙台駅前などでは最早をそれらを感じる事はできませんでした。久しぶりに仙台
銘菓「萩の月」を家族の為に買って新幹線に乗り込みました。

2012年10月1日

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