熊本地震2


2016年のGWは、熊本の実家へ帰省しました。


・DAY0 (4/28)
4月28日横浜出張から帰宅したのは、午後9時半でした。夕食を摂ってから前日
までに梱包しておいた「大工道具」「約5日分の食料と水」[着替えと寝袋」などを
クルマに積み込んで安曇野を出発したのは、既に午後11時を過ぎていました。
実家の状況が不透明で、最悪無人の実家の駐車場で車中泊ということも覚悟しての
装備でした。


実家まであと1050km!

みどり湖PAでキャリアに積み込んだ荷物の状態を確認してから草津PAまでノン
ストップで走りました。高速道路のガソリン価格は、昔統一されていましたが、現
在はバラバラで10円以上違うので、草津PAのように比較的お安いところで給油
するようにしています。(笑)

安曇野を出たのが遅かったので、いつも渋滞する吹田ジャンクション(午前3時過
ぎに通過)も渋滞なしで通過できたのは有難かったんですが、SA・PAが一杯で
駐車スペースが見つからず結局仮眠が取れたのは、社PAで午前5時過ぎでした。

・DAY1 (4/29)
1セット(約90分)仮眠をとって中国道をひたすら走りましたが、対向車線に自
衛隊の災害支援より帰還される車両を200台程見かけ、頭が下がる思いでした。
思いの外疲れていたので、美作追分PAと吉和SAで仮眠をとりました。壇之浦P
Aで植木ICから先が開通したという情報を得たため、菊水から下道を走る予定を
植木ICへ変更しました。熊本入りする直前のSAである広川SAで食事と給油を
して熊本入りしました。


壇ノ浦PAで発見!植木ICから先も開通!

夕方5時を回っており、九州道は、それほど交通量も多くなく、無事に植木ICに
到着。国道3号線へ入りました。国道へ入ってもそれほど地震の被害を目にするこ
ともなく、国道沿いのスイカ市場や青果市場も普通に稼働している感じでした。
熊本市北区の鹿子木あたりから屋根にブルーシートが被せてある家を見るようにな
、山室周辺・化血研を過ぎたあたりから営業していない店が大半になってきました。
熊本電鉄の立体交差に差し掛かり歩道の手すりの高さがめちゃくちゃなのを見て、
急ごしらえで段差を埋めてクルマの通行ができるようにした事を知りました。


実家の近所のゴミ収集所。毎日ゴミが増えていきました。

国道から実家のある路地に入るとゴミ収集所に震災で出た壊れた家財などが積み上
げられていたのを見て改めてここは、被災地なんだと思いました。実家の駐車場に
クルマを停めて実家を伺うと嬉しいことに人が住んでいる気配があり、玄関より
実家へ上がり込むとお茶の間には、母と弟の家族がいました。なにより無事で元気
にしていることが、有難かったです。母は、兄嫁の実家である天草へ避難している
という話だったので、実家は無人で寝泊まりはクルマでと覚悟していたので嬉しい
誤算でした。早速薄暗い中実家の木曽の部分を見て回りましたが大きな損傷もなく
壁と屋根の補修でなんとかなりそうな印象で一安心しました。

玄関には、避難所で頂いたカップラーメンと飲料水の箱が積んであり、ひと月以上
食料に困らない感じでした。(爆)早速僕も食べた事無い銘柄のカップラーメンをご
馳走になりました。全国からの支援に感謝です。

実家は、一部屋壁が破損して室内から外が見えるような大きなひびが入っており、
使えない状態ですが、他の部屋でなんとか寝泊まり出来ていました。僕が寝るスペ
ースも用意してもらい、初日から暖かい布団で眠る事が出来ました。


実家の壊れた壁。壁の左側に大きな隙間があり、外が見えます。

・DAY2 (4/30)
翌30日、朝から実家の状態を把握するために家の周りや屋根をチェックしました。
2階屋根の大棟が半分ずれており、端の瓦が落下し、落下したところの瓦が破損し
ていました。応急手当てとして小型のブルーシートを掛けてありましたが、瓦を重
しにしている程度のものなので、至急対応が必要な印象でした。クルマから大工道
具と自転車などを降ろして、偵察を兼ねて近所のホームセンターまで自転車で走っ
てきました。実家近くの国道に出ると遠くにダメージを受けた熊本城が見えました。

国道をそのまま南下し、藤崎宮を右折し坪井方面から上通り、下通りを経由し、長
六橋を渡り、迎町、江南中学まで走りました。ここはネットで「のみ水ありがとう、
がんばるけん」という校庭に書いた文字がニュースになっていました。日中は、ご
自宅の片づけのためか?あまり人気を感じませんでしたが、校庭で自衛隊の方と小
さな子供が遊んでいるのが印象的でした。


ちょっと「じわっと」きた光景でした。

中学校を後にし、世安町方面へ移動。今治のシクロの家と提携している阿蘇び心
の熊本店の前を通ると、自転車の修理をしているスタッフの方がいたので、話を
聴いたところ、阿蘇の方は壊滅状態だが、こちらは塀が倒壊した程度で済んだそう
で、既に営業再開されてました。その後春竹のダイキというホームセンターに立ち
寄りましたが、建物が地震でダメージを受けており、建物の一部と屋外にテントを
張っての営業で、ブルーシートなどの緊急時に必要な物資を中心に販売していまし
た。


琴平神社が崩壊していました。orz

白山通りを抜けて市電の通りを水前寺方面へ走りました。健軍方面の状態を見たい
と思ったためでした。水前寺周辺はそれほど酷い被害は見る事はありませんでした
が神水あたりから損傷の大きな建物が増えてきました。健軍商店街は半分ほどの店
が営業しており、頼もしかったのですが、アーケードの途中のスーパー・サンリブ
が全壊しており、異様な光景を目にする事になりました。


健軍商店街のスーパー・サンリブ!犠牲者0は、有難いことでした。

市電は健軍が終点なんですが、もう少し先まで走ってみようと走っていたら、全壊
の建物が多くなってきて、気づいたら震源地近くの益城町に入っていました。歩道
も波打っているところがあり、酷い状態で古い建物の多くは全壊。比較的新しいと
思われる住宅にも全壊のものが幾つもあり、ぞっとしました。


壊れている住宅の写真を撮ることは哀しすぎてできませんでした。

惣領神社で一休みをして、健軍方面へ引き返しました。崩れてしまった住宅を見る
のが、被災された方々の事を思うと正直辛くこれ以上益城周辺を走りたくありませ
んでした。電車通りに戻り、味噌天神の手前から北へ向かい、県立劇場、熊本学園
大を過ぎ、子飼橋を渡り、子飼商店街を抜けて実家へ帰りました。実家最寄りのホ
ームセンターナフコは、春竹のダイキと同様に建物が地震でダメージを受けており、
建物の一部と屋外にテントを張っての営業でした。とりあえずシーリング剤とシー
リングガンなどを購入し帰宅しました。

安曇野から持参したブルーシートで2階の屋根を覆い、ロープと釘で固定しました。
瓦の落下で破損した部分は応急処置で被せてあったブルーシートでカバーできそう
だったのでとりあえずシーリング剤でシールして様子を見る事にしました。
熊本市内を走り回って感じたのは、県外からの支援の方々がインフラの復興に来て
くれている事、無理をしてでもお店を営業している人達が少なからずいらっしゃっ
たということでした。(チェーン店は、ほぼ全て閉店状態でした)


友人宅へ送りつけた食料品!

夕食後、高校の同級生の家へ遊びに行きました。大江町の自宅は結構ダメージもあ
ったようですが、娘さんに障碍があるため、避難所へ行くことができず、車中泊の
日々だったそうです。宅急便が復活した際、食べ物を段ボール一杯送りました。
当日は、ガスを含めインフラも復旧しており、余震も大きい物は来ないだろうとい
う事で自宅で寝泊まりしていました。前震、本震とその後の話を聞かせてもらいま
した。

・DAY3 (5/1)
甥っこが、フル営業しているホームセンターがあるというので、遥々菊陽町のハン
ズマンまで買い出しに行きました。午前中に着いたというのにかなりの混みようで
何故かお花を買って帰る家族連れが目につきましたが、予め持参した買物リストの
ものを買い集めて帰りました。ただし、地震から2週間を経過し自宅の修理に使用
する大工道具は、かなり品切れが出ており、左官ごてもいまいちなものしかありま
せんでした。(泣)それでも細々したものを買える事は有難かったです。

市内の各所に地震で発生した壊れた家具や電化製品が積み上げられていますが、面
白い事にブラウン管のテレビが結構な数出されていた事です。本当に最近まで使っ
ていたのか?不思議に思います。実家のテレビも3台中2台破損して廃棄しました。
B-casカードを取り外していなかったので、見に行ったら何者かが持ち去った後でし
た。転売されるんでしょうか?

実家の一部屋は、壁が割れて柱の隙間から外が見える状態だったんですが、ガラス
が割れたサッシを取り外し、歪んだフレームを元に戻し、買ってきたプラ段を嵌め
こんで小窓を塞ぎました。とにかく隙間をなんとか塞ぐ事に注力しました。
ちなみにこの日は、映画の日でしたが、半径20kmに営業している映画館はありま
せんでした。orz

・DAY4 (5/2)
壁は柱のところで釘ごと引き千切られており隙間を塞ぐのは大変そうでしたが、買
ってきた木材で塞ぐように加工を始めました。3時のお茶を飲みながら、壁を見て
いたら、千切られた釘を取り除くと一部壁全体が元の位置へ戻る可能性がある事に
気付き、釘をカナノコの刃で切って取り除いたら、柱の隙間に変化ありませんが、
床に開いていた隙間はほぼ解消されました。(折角加工した材料は、無駄に・・・)
柱の隙間は、修理時に簡単に外れるように木工ボンドとシーリング剤で塞ぎました。
壁のひびは壁の作り直しを前提に、ブルーシートを掛けて雨対策のみとしました。

・DAY5 (5/3)
雨天の予報、実家の緊急対応が一段落したので、兄の自宅の修理のため、浄行寺方
面へでかけました。兄の自宅の近辺は比較的地震の被害も少なく、家財の転倒も思
いの外大丈夫でした。地震は震動なので、このように「節」みたいな事もあるのか
なと思いました。修理の依頼は、棚のヒンジの修理と玄関の庇が落ちそうなのを支
えるつっかい棒を作りたいとのこでした。新たな情報として徳王のホームセンター
もフル営業しているということで、雨の中、買い出しに出かけました。

柱の選定に悩むところもありますが、雨の中作業もできないので翌日改めて買い出
しにくるということで、買物リストを作成して、酷い大雨の中実家へ帰りました。
途中当時より営業を再開した「リンガーハット」で長崎ちゃんぽんを食べて、実家
へ戻ると落ちた瓦で破損した部分から雨漏りが発生していました。使用したブルー
シートが薄く、当時のような激しい雨だと耐えられなかったようです。急遽ブルー
シートを追加購入し屋根にかけようとしたんですが、強風のため、屋根の上での作
業は危険ということで、とりあえず雨漏りの部分に重しと共にブルーシートをかけ
て翌日に本作業をおこなうことにしました。

近所のベスト電器は、建物が損傷して営業していない事もあり、通販で液晶テレビ
を注文していたんですが、思ったより早く届きました。40型のレグザで¥5.5万円
でハイCPだと思いました。テレビでは、熊本出身のタレントさんとかが、多分地元
限定と思われる「頑張れ熊本!」応援スポットが沢山流れていました。企業CMが
減っているのか?AC Japanのスポットが数多く気になりました。


GW中は、午前中には受付締め切りでした。

・DAY6 (5/4)
いよいよGWも終盤になり、ボランティアにも行こうと考えていたんですが、全く
余裕がない状態でした。もっとも、受入側もキャパオーバーでボランティアが余っ
ている状態のようです。まずは、やれることを片づけるということで、朝から前日
からの作業、屋根のブルーシート設置&固定を行い、兄の自宅の修理の材料の買い
出し。そのまま修理開始。とりあえず、玄関の庇は支えられる状態になりました。
お礼に(笑)兄のプラモデルのコレクションからタミヤの1/12スケールホンダ
VT-250Fインテグラのバイクのプラモを貰いました。プロレスのプラモも薦めら
れましたがこちらは辞退しました。というか?プロレスのプラモなんてあるのを知
りませんでした。(大汗)

実家で温かい布団で毎晩眠る事ができて有難いのですが、ほぼ毎晩余震で目を覚ま
してました。日中は気づかないのですが、夜だと静かなので、余震が始まる前に、
「どーん」という音がしてミシミシと揺れ始めるのが分かります。震源が近い地震
の特徴でしょうか?

・DAY7 (5/5)
熊本帰省最終日。残ったモルタルでブロック塀の補強しました。こっそりお隣のブ
ロック塀との間にモルタルを充てんし、ちょっとだけ補強。(汗)
お昼前に再び熊本市内を自転車で回りました。

最初に実家裏の竜田山にある一昨年亡くなった父の墓へ掃除とお参りをしてから、
市内へ向かいました。浄行寺方面から京町の坂を上り、熊本城を観に行きました。
お城への道は閉鎖されており、周辺を回ってみました。千葉城町へ下っていくと
神社がお城の石垣に潰されてる光景にでくわしました。間近で見る石垣の崩壊は、
かなりインパクトがありました。市役所通りに出ると長塀が倒れているのが見えま
した。荒れ果てた天守閣も見えました。旧合同庁舎へ回ると二の丸広場には入れる
事が分かり、新町方面から二の丸広場へ向かいました。

二の丸広場から結構広範囲に熊本城を見る事ができました。宇土櫓は無傷と思って
いたんですが、一部下の方の庇に被害が見えました。こちらから見た方が被害が酷
く感じられました。悲しい景色でした。熊本の街並みも一部眺める事が出来ますが、
ブルーシートがちらほら見える景色でした。

橋の金具が破損!
なんだかSF映画みたいでした。

二の丸広場から新町へ降り、春日町を経由して熊本駅へ向かいました。
熊本駅は、九州新幹線も既に全線復旧しており、通常営業という感じでしたが、在
来線側は、多少被害が大きく閉鎖のお店もありました。駅前にボランティア・セン
ターも設置してあり、午後遅くでも受付されていました。熊本駅から大江方面へ伸
いる道路は「産業道路」と呼ばれる幹線道路なんですが、白川に掛かっている白川
橋が破損して通行止めになってました。見渡す限りクルマがいない産業道路を見る
のは、初めてで、こちらもインパクト大でした。ひとつ下流の橋を渡って世安町、
本山町を経由して、実家へ帰りました。

夕食後、荷物をクルマに積み込んで実家を後にしました。京都まで兄が同乗すると
いうので、結構楽しい道中となりました。(笑)7時間ほどいろんな話をしました
が、これまで話した事がないフランスでの話や東京の話で盛り上がりました。
熊本でフランス料理屋を30年ほど営業しており、最早老舗となっている事。震災
後暫くは売り上げが低迷するであろうこと、子供の事、孫の事、得難い時間だった
と思います。

・DAY8 (5/6)
京都の山崎駅で兄を降ろして再び高速道に戻りました。
朝ご飯に大津SAできつねうどんを頂いて、会社や家族へのお土産を購入しました。
GW中の疲れが出たのか?多めに仮眠を取りつつ安曇野へ向かい、自宅には14時
頃到着しました。荷物や自転車を片づけて一段落したら既に夕方となっていました。
翌5/7は、休養日として過ごしましたが、地震もないのに夜中に目が覚めるのは、結
構精神的にしんどかったのと、瓦礫の片付けて思いの外筋肉痛になっていたので土日
を休養日に充てて良かったと思いました。

もともとGWは、エレアコの改造やレコードの洗浄などを計画していたんですが、
熊本の地震で全く違ったものになってしまいました。まさか自分の実家が被災すると
は、想像もした事が無かったので、実際に被害の現状を見てショックがありました。
震度7が2回も襲うという気象庁が「経験がない」というモンスター級の地震であっ
たのにもかかわらず、死者が50人程度と少なかったのは、不幸中の幸いだと思いま
す。不謹慎かもしれませんが、阪神・淡路のような火事もなく、東日本のような津波
もなく、政権も社会党でもなく、民主党でもなく、自民党で良かったと心から思いま
す。住む家を失った方々は、これから熊本の暑い夏を乗り越えなければいけません。
無事にお過ごしになられる事を心からお祈りします。

実家の修理の見積りもやってもらったそうですが、未だに何時修理してもらえるのか?
分かりません。実家の母は「他にもっと大変な家もあるんだから・・」と言ってまし
た。これが現状です。梅雨の前に堤防の補修も終わらせる必要があり、緊急性が高い
ものも少なからずあるため、実家程度の修理は優先順位が低い事は仕方がないと思い
ます。

熊本に滞在中に沢山の県外からの応援の方々を見かけました。本当に有難かったです。
感謝に絶えません。久しぶりにカップラーメンを実家で食べましたが、美味しかった
です。おこぼれにあずかりました!ご馳走様でした。偽善だなんだと批判する人もい
ますが、僕は色々と助けてくれた方々全員に感謝します。ありがとうございます。
夏にまた帰省出来たら帰省したいと思います。がまだせ!熊本!

2016年6月1日

平川丈二は最近こんなことを考えている!
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