ネットの個人史

現在は、フェイスブックで日々の所感や日記を垂れ流していますが、元々は
1995年9月にプロバイダーを朝日ネットに乗り換えた際、個人のホームページ
を作ったのが、きっかけだったりします。月に一回程度の更新ですが、現在
まで20年以上も続いているのは我ながら凄いと思います。

95年当時は、インターネットも普及の途上にありプロバイダの選択肢もあまり
多くありませんでした。なにより電話回線を使ったモデム(9600bps!)でダイ
ヤルアップ接続だったので通信費も恐るべしでした。PCもCubaseで打ち込みを
やっていた流れでマック(Quadra650!)を愛用していました。ブラウザもモザ
イクとネットスケープくらいしかなく、個人のホームページも朝日ネットの例
で言えば50くらいしかなく一覧のページがたったの1ページだったのが懐かし
いです。当時ニフティやアサヒネットのパソコン通信の流れが強くあり、いろ
いろと雑誌とかでは得られない情報を得られて面白かった記憶があります。

インターネットへの接続の定額制が始まり、その後常時接続へと移り変わって
来て本当のネット環境が始まったと思います。実は、20年前の自分の書いたも
のを読み返すと現在とあまり変わらないのが笑えます。成長しているつもりで
も、大して成長が分かりません。同じような事をやっているんですね。自分で
は、自分自身を自宅に引きこもっているヲタクなヲヤヂと思っているんですが、
周りからは結構アクティブだと思われているようです。多分人様と基準が微妙
に異なるのが原因だと思いますが、そういうものを含めてネットへいろんな文
章を垂れ流しているんですね。(大汗)

昔、井上ひさしさんが「エッセーとは、自慢に他ならない」みたいな事をエッ
セイで書かれていましたが(笑)なるほどと思いながらも結局それは受け取る側
の問題でしかないと思います。「人さまの意見・感情はコントロールできない」
という事を理解したらさほど気にならなくなります。ネットってそういう世界
だと思っています。

僕自身の考え方はかなり「保守的」だと思いますが、他者に対しては「リベラ
ル」でありたいと思っています。自分の自由を確保するために他者の自由も認
めるということです。世の中には、所謂「一神教」的な「自分が正しく(正義)
違う考えのものは間違っている(悪)」という言動をする方が結構います(左巻
きの方に多いように思います)が、それって結局首の締め合いなんですよね。
日本人に生まれて、クリスマスをお祝いして、元旦に神社へ初詣でして、死ん
だらお寺に埋められちゃうゆるい「多様性」が好きです。

社会人になって中東や東南アジアの貧乏な人たちを見る機会があったのも影響
しています。バブルの時期を経験した後というのもあり、強烈でした。そもそ
も僕が子供の頃(昭和30年代)には、強烈に貧乏な人たちが身近に沢山いまし
た。貧困の程度も色々ですが、現状に感謝をして自分が望む方向へ少しずつ地
道に進める事が大切だと強く思っています。人生にホームランってあまり期待
していないです。日々頑張ってヒットやフォアボールを積み重ねて結果を残し
ていくのが、人生だと思います。現在の自分は、その結果ということになりま
す。

45歳くらいで自分の人生を振り返るようになって、過去の記録をまとめるよう
になりました。所謂「個人年表」です。これを見直しても後悔はしませんが、
反省ならすべきです。上記ネットへ垂れ流している所感や日記は、個人年表の
「詳細」となります。20年ほど経過したものを読み返すことは、なかなか楽しい
作業だったりします。(笑)という訳で僕が垂れ流す文章などに対しては、
「長〜〜い目」(by小松政夫)で見るようにお願いします。

2018年4月1日

平川丈二は最近こんなことを考えている!
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