平川丈二のギターの歴史




 僕は3っ上の兄の影響で小学校のころから、ポップ・ミュージックやフォーク・
ミュージックを聴き始めました。子供心に自分で弾けないものかなあと漠然と思っ
ていたものが、兄が高校でバンドを始めたおかげで中学生の僕にも楽器(フォーク
・ギターとエレキ・ギターとドラム)に触れるチャンスができました。
そこででてくるのが、神田商会の「成毛滋のロック・ギター・レッスン」!!!
僕はこれでオルタネート・ピッキングを学びました。生まれて初めて弾いた曲は、
Zeppの「胸いっぱいの愛を」でした。

 このときのギターは、グレコのEG-460 レスポールのコピー・モデルで合板でで
きており、中に空間のあるホロウ・ボディ構造だったためフィードバック奏法には
向いていたように思います。その後このギターは僕のものになるのですが、実際
初めての僕のギターは、アリアが当時出していた、ドレッドノート・シリーズ(
松岡良治ギター)なる、マーチン・タイプのギターでした。D-18のコピーで結構
いい音が出たように思います。当時は「モーリス持てば、スーパースター」の時
代だったので、すでにへそまがりの選択が始まったのかもしれません。

当時グレコのエレキ・ギター
を買うと「成毛滋のロック・
ギター・レッスン」が、ついてきた!

 最初のエレキ・ギターは、ヤマハのレスポールもどきでした。当時ヤマハは、
オリジナリティを連呼してヤマハ・カラーを前面に出していましたが、ヤマハ
のギターでいいなと思ったのは、SGシリーズだけでした。で、なぜこのギター
を手に入れたかというと、近所の質屋さんで安く売っていたのを親に頼みこん
で買ってもらったのでした。セット・ネックとハンバッキング・マイク(当時
ピックアップのことをこう呼んでいた)が決めてだったと覚えています。
そうこうしているうちに兄のバンドのギターの人から フェンダーのテレキャスター
(ローズネック、ブロンドフィニッシュ)を譲ってもらうことができました。
中学生のぶんざいでフェンダーのギターを持っているなんて当時(1975年)
あまりなかったと思います。このテレキャスターは現在も現役で、いい音が
出ますが、いかんせんカッティングはいいけどソロがやりにくいこともあり
ケースの中で長いこと冬眠中していましたが、最近(2001年12月)に
T’sギターにリペアに出して蘇りました。

 高校生になり、自分でバンドを始めて、ハンバッキングが必要なときは、先
輩からグレコのフライングVを借りたりして楽しんでいましたが、強力なギター
を手に入れることになりました。PLAYER MAG.でグレコのオーダーメイドくずれ
のレスポール・カスタムのコピーモデル(EG-1000)をGETしました。これが、
いい音していて、へたなギブソンよりいい音していました。これもテレと一緒に
リペアに出して復活しました。でもネックが細いので子供用に取っておくつもり
です。
同時期にやはりグレコのストラトを中古で購入(笑ってしまうことに修学旅行中に
買いました。先生に変な荷物もっているな?と聴かれて焦りました)しましたが、
アームがだめなのとネックが太いため1年ほどで友達に売り飛ばしました。

 高3の時たまたまアメリカへ行く機会があり、’59レスポール・ジュニアと
SGスタンダードを買ってきました。レスポール・ジュニアは、素晴しくいい音
でレスリーウエストの音がでました。(ブリッジはバダス製のものに交換)SG
は、現地(カリフォルニア)で弾いてた時は、軽くて良い音だなあと感心して
いたんですが、日本に持ち帰ってひと月しないうちに鳴らなくなりました。(爆)
後にジェフ・ベックを見てストラトが欲しくなり、掲示板でフェンダーのストラト
と交換してもらいました。(写真左)ところが、家に持って帰ったその日にアーム
を折ってしまい、まもなく太いアームに換えました。懐かしのリッチーアームって
やつです。手が滑って足にアームを落とすとめちゃめちゃ痛かったです。(泣き)
大学の頃やはり2期JBGの頃のジェフベックのストラトをまねて塗装をはがして
自分でクリアラッカーで塗り直しました。まるひと月以上かかって塗っては磨き、
塗っては磨きと大変な作業でしたが、それっぽい感じになりました。このギターは、
当時出始めのロックナットを付けたんですが、ブリッジまで換えると音色が随分
変わるのでチューナー付きのほぼオリジナルのストラトと重量が同じブリッジを
探して付けました。おかげさまでストラトサウンドキープでチューニング安定という
ナイスなギターになりました。
レスポール・ジュニアはその後手放したのですが、お金に余裕があれば持って
おくべきギターだったと思います。勿体なかったですね。
大学に入りカワイのF-1jrというギターを買いました。(写真左から3番目)
これは、当時スルー・ネックのギターが流行し、かっこいいなあと思ったから
でした。電子系の学科の僕は、自作のプリアンプを内蔵し、みんなに超音波ギ
ターと呼ばれました。B.C.Rich が流行っていたころです。

 そのほかにギブソンのレスポール・シグニチャー というセミアコも衝動買い
をしました。(写真左から2番目)これは、渋谷のヤマハで安く中古で出ていた
もので、コンディションは最悪だったもののヤマハのリペアールームの評判は
当時高かったため買ってみたものの、やはりいまいちという感じでです。
で、なぜこのギターを買ってしまったかというと、僕はサンハウス時代の鮎川
誠さんが大好きで当時の彼のメイン・ギターがギブソンのレスポールと言っても
カスタムではなく、シグニチャーだったからでした。(^o^)
音的には、2つのローインピーダンスP.U.とレベルコントロールスイッチ、
フェイズスイッチによるサウンドバリエーションには、凄い物がありますが、
これぞシグネチャー!という音がないというのは、痛いと思います。
ちなみにサンハウスの1stアルバムのライナーの写真で鮎川さんが抱えている
ギターがこれと同じです。
やはり、これもテレと一緒にリペアしましたが、やはり素性がいまいちのせいか
ばっちりというわけにはいきませんが、そこそこのレベルにはなりました。(笑い)

 就職してからは、ビデオ機材にお金を使い果たしてしまい、 GRー505とオベ
ーションのアコギくらいしか買っていなく、あまりギターが増えなかったのですが、
結婚が決まって駆け込みのように2本ほど買い込みました。(爆)
やはりレスポールは、持っていたいと言うことで ギブソン・レスポールクラッシック
プレミアムプラスと フェンダーストラト(新星堂オーダー品)です。

グレコのレスポールの音が良かったこともあり、どうもレスポールを買う気になれ
なかったもののやはりブランドに弱いらしくついつい買ってしまいました。(爆)

長年聴き続けている ジェフベック・シグネチャー・ストラトも発売当初お金を持って
楽器屋へ行ったもののあまりのネックの太さにあきれて購入を断念した経緯が
あったのですが、2000年に自分の誕生祝いに自分で買いました。(爆)
現在のメインのギターです。その後、アップデートモデルも購入し、こちらがメイン
になってしまいました。しばらくギターの購入は控えていたんですが、ジェフベック
も使っていた ローランドのギターシンセコントローラー(簡単に言うとギター部)
GR−500
を購入30年前のギターにもかかわらずなかなかの美品と喜んでいたら
トラスロッドが、ねじ切れており強力なネックのソリで使用不能状態に・・・。
自分で指板を剥がしてトラスロッドを交換し、インターフェースも最新型のGRに
接続できるようにし、P.U.も余っていた80年代のギブソンのものに交換したら
意外と使えるギターになってしまいました。(笑)

結局、現在のメインのギターは、ジェフベックストラトアップデートをメインに
ギブソンのLP古典(クラッシック)、オベーション1992、で時々GR−500
って感じに落ち着いています。

こうやって自分のギターの歴史を振り返ってみると、割と恵まれていたと思う反面
あまり高級ギターへ向かっていないなあという事も良く分かります。確かにビンテ
ージ・ギターや高級工房系(サーやトム・アンダーソンなど)のギターは、素晴らしい
事は良く分かりますが、いかんせん高い事もありおいそれと50万円も出せません。
というか、50万円出しても欲しいというギターに巡り会っていないというのが、本当
のところかもしれません。アンプも良い物は、やはり50万円くらいしますし、良い音
を自分のものにするのって大変だなあと感じます。

仕事が忙しくなかなかギターを弾く時間が少なくなっている現実もあり、やはり手持
ちのギターの本数を減らす必要を感じ2000年の後半くらいからギターも処分してい
ます。割と譲った方に喜んで頂けるのは、嬉しいのですが、やはりギターが、無くなる
のは淋しい感じです。でも、弾いてもらえないギターの方がもっと可哀想だとも思いま
すのでそれなりに納得しています。

2006年10月16日

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